2015/01/19

ヨーロッパ音響学会で『芝居小屋の音響特性について』を、共著者クレメンス・ビュットナー氏が発表


大会名:SEPTEMBER 2014  KRAKOW  FORUM ACUSTICUM

タイトル:Acoustical characteristics of preserved wooden style Kabuki theaters in Japan


しばらく前の話になりますが、2014年の音響学会が、9/8ポーランドのクラコウで行われました。しかしこの日は日本の建築学会の時期と重なってしまったため、私は行くことができませんでしたが、共著者のクレメンス・ビュットナー氏が参加し、発表させていただきました。

発表内容は、以前我々が音響調査をした芝居小屋から、金丸座、八千代座、村国座、嘉穂劇場、鳳凰座を選び、手描きの図面をCADで起こし、空席の場合の音響シミュレーションを行って実測値と比較すること。またそのデータから満席の状態を予測して音響シミュレーションを行った結果、ヨーロッパの考え方で言えば、芝居小屋の音響特性は音楽より話声に好ましく、さらに親近感や親密感が音の特徴と言えると結論付けています。

クレメンス氏はベルリン工科大学の研究者で、明治期に日本にヨーロッパの音楽が入ってきた際に、どのようなホールで演奏されたかを調査するため来日していました。

彼は当初、歌舞伎座(1889年(明治22年))、芸大奏楽堂(1890年(明治23))、帝国劇場(1911年(明治44))、横浜のゲーテ座(1870年(明治3年))などを調べていましたが、歴史に名前が残っている劇場はわずかしか見つけられなかったところ、帰国直前に、明治期の日本には芝居小屋がたくさん存在していたことに気づき、芝居小屋の研究を行っていた弊社を訪ねられました。帰国する前々日(2012年)のことでした。そして、今後共同研究がしたいと言われ、それが今回の論文につながりました。

多くの建築の研究者や音響技術者は、クラシック音楽や現代演劇に適用する劇場の研究は行っているし、意識をしていますが、明治期に大量に存在し(全国で8000とも)、しかも戦後しばらく存在していた芝居小屋についてはほとんど無視をしていたように感じます。その芝居小屋では、もちろん歌舞伎や人形浄瑠璃などが行われていましたが、講演や演説、また邦楽や演劇やクラシックコンサートも行われたようです。

今年も何らかの調査をクレメンスさんと計画中です。


クレメンスさんが、芝居小屋以前の研究でもっとも注目していたのは横浜のゲーテ座(The Gaiety Theatre)でした。1870年(明治3年)12月6日、横浜本町通り(現、中区山下町68番地)に開場しました。ヘボン博士の邸宅跡地の隣の敷地です。オランダ人のM.J.B.ノールトフーク・ヘフトが外国人のアマチュア劇団のために建設しました。設計はフランス人のサルダ。

1854年(嘉永7)3月31日に、ペリーとの間で日米和親条約が締結、1859年(安政6)6月2日に横浜は開港しています。開港当時の横浜村は戸数約100軒の寒村だったようです。
また現伊勢佐木町には、1880年(明治13)に創業した芝居小屋の勇座と新富亭、賑座が、見世物小屋の両国座が前身の喜楽座などがありましたが、1899年(明治32)の「関外大火」で多くが焼失してしまったようです。しかしその後の伊勢佐木町は歓楽街として発展してきています。

要するにゲーテ座が開場した年は、開港からまだ11年であり、しかも1866年には同じ敷地で倉庫を改造して劇場として使っていたようです。杮落し公演はアマチュア劇団によるバーレスク「アラディン―素敵な悪漢―」と、ファース「可愛い坊や」で、バーレスクの劇中音楽は、コンラード・アンド・コラード社のピアノによって伴奏され、幕間でイギリス第10連隊第1大隊の軍楽隊(軍楽隊長は君が代の初期の作曲者で有名なフェントン)が演奏したとのこと。また、1872~1873年(明治5・6)の頃、ガス灯による照明設備が取り入れられたそうです。


参考文献  
原島広至著 「ワイド版横浜今昔散歩」 2014年10月 株式会社KADOKAWA 出版
升本匡彦 著 「明治・大正の西洋劇場」 横浜ゲーテ座 第二版 1986年 岩崎博物館 出版